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船はしやの歴史

 
船はしやの歴史
 

創業以来百二十年、京都の老舗として五色豆の伝統を大切にしております。

京都の通りにチンチン電車が走るようになった明治時代。商店で賑わう寺町通りの夷川角に雑穀煎豆を扱うお店がございました。
初代店主、辻喜之助は舟橋の煎豆商、清水三郎兵衛氏とじっこんの間柄。
店の名を「舟橋南店」と称しておりましたが、明治十八年、屋号を「船橋屋」に改名し、清水氏から伝承した 五色豆の製造を開始いたしたました。
明治三十八年七月に三条大橋西詰めに分家を出し、「船橋屋本店」となり、さらに昭和十二年十一月に寺町綾小路に分家を出し「船はしや総本店」と改称いたしました。

その間、味や色あいに改良が重ねられた船はしや独自の五色豆は「錦豆」との登録商標で呼ばれるようになって人気を高めました。
五色に美しく染められたお菓子は祭りや慶事にふさわしいとされ、とくに大正天皇御大典など国家的な行事が京都で行われた際は、多くの高位高官の人々に買い求められたという、歴史がございます。

 
 
船はしやの歴史風景
 

 

大正天皇のご即位の御大典  

大正天皇のご即位の折、御所に献上、納品しておりました。

 

昭和30年頃のもの。
節分豆売り出しの時で、店員さんは桃割れ姿。看板は、なんと北大路魯山人の書、残念ながら今は残っていません。

  雑穀煎豆専業
 
宣伝カー  

当時珍しかった宣伝カー。
よその会社と一ヶ月ごとの持ち回りで走らせていました。家長や家族も乗せて街中を走っていました。